活字離れと言われて久しい。
確かに動画や漫画など、画像があれば物語はスムーズに入ってくる。
読み手があれやこれや想像する必要が無いから、ストーリーに集中できる。
没入感は活字だけの物語よりもはるかに深い。
しかしそれは物語の舞台や登場人物などの姿に、縛りをかけるようなもので、
読み手の想像力の自由度はかなり限られたものになるのではないでしょうか。
その点、活字の小説は読み手しだいで深くも浅くもどうにでもなる。
その物語に触れた者の読解力や想像力の差が作品の面白味を左右する。
これは一つの作品の楽しみ方が、百人いれば百通りあるということだ。
誰かと同じ楽しみ方というものは活字の物語にはありえないと思われる。
舞台の背景も登場人物の着ているものや色までも微妙に違うはずだ。
そういった十人十色の楽しみ方のできる可能性に溢れた表現方法が、
活字の作品なのではないかなと私は思う。
となれば、活字の小説は無くならない。
その楽しみ方を知った者が、これからの時代もきっといるだろう。
ゆえに 活字の小説が消えていく未来を想像できないのだ。